歴史

失ってしまった歯を取り戻したいという気持は、いつの時代もおなじようで、紀元前3世紀頃のエジプトに、歯の抜けた後のあご骨に象牙や宝石などを埋める試みがあったことが記録に残されています。これはおそらく、死者を埋葬する際の装飾品の一部として、あるいは、来世に備えて不自由のない生活ができることを願って行われたものと考えられます。また、紀元前600年頃のマヤ文明期に、貝殻を歯の代わりとしてあご骨に埋入してている人骨が発見されています。このほかにも、インカ族やアステカ族にもインプラントの報告があります。これら歯科インプラントは、どこまで実用的であったかは極めて疑問であり、宗教的意味合いが強かったことと思われます。現在の歯科インプラントの基礎が築かれたのは、約100年前ほど前。アメリカやヨーロッパ、とくにイタリアなどで歯科医が、スパイラルシャフトというネジ式のインプラントを歯の抜けた穴に植えていました。
そして1952年、インプラントにとって画期的な発見がもたらされます。それは現在のインプラント治療の主流であるチタン表面が骨と結合することが発見されたことです。発見者はスウェーデンの学者Professor Per-Ingvar Brånemark ブローネマルク教授で、以来約10年間に及ぶ基礎実験の後、1965年5月より臨床応用が開始されました。その後は臨床研究も進められ、オッセオインテグレイテッド(骨と結合した)インプラントの予知性が高いことが証明されました。1982年頃から本治療法は世界中に普及し、日本でのオッセオインテグレイテッド・インプラント治療の歴史は30年近くになります。この間、インプラントの表面性状、チタンの成分、インプラントの形状、太さ、長さ、アバットメント(後述)とインプラントの結合方式など、様々な試行錯誤、研究、進歩、時に失敗を乗り越えて、2005年以降はエピデンスも積まれ安定期になっています。インプラント治療が、患者さんに旧来からおこなわれている可撤式義歯(一般には、「入れ歯」と呼ばれています)、ブリッジなどの治療と共に歯を喪失した場合の治療法の選択肢の一つになったと言えます。
1952年に、Professor P.I. Brånemarkブローネマルク教授は、オッセオインテグレーションインプラントの基本構想を確立したのち10年間の基礎実験で骨とチタンとの結合の信頼性、チタンの生体親和性について確信し、臨床実験を始めました。
1965年最初の患者さんは、下あごの無歯顎患者でありました。彼自身は医師であり、ブローネマルク教授の基礎研究を十分理解し信頼して手術を依頼したと察せられます。この後、10年間で約1000症例の歯を喪失した患者さんの臨床研究を行いました。
1981年ノーベル・ファルマ(ノーベル・バイオケアの前身)、スウェーデンで設立
1987年3I社が、米国マーケットを意識したインプラント製品を販売。
発明者ブローネマルク教授は、このシステムの特許は一切申請しませんでした。
3iは1987年に、米国フロリダの歯周病専門医であるDr. Richard J. Lazzara(ラザーラ)がブローネマルクのインプラントを自らの診療所で使用して治療する過程で、患者のニーズに合わせたきめ細かな対応のできるインプラント体や上部構造の必要性を感じ、当初はスエーデンのノーベルファルマ社(後のノーベルバイオケア)に注文したが受けてもらえなかった。そこで、Dr.ラザーラは治金学・精密加工を専門とするMr. Keith Beatyにコンピューターによる工学的設計を依頼し、品質・精度・審美性の面から、新たな基準となる補綴コンポーネンツ(インプラントの上に装着するアバットメント)を作り、自らの患者さんに使用して、良い結果を得た。これを聞いた米国の歯科医がアバットメントを分けてくれと多くの連絡をDr.ラザーラに入れ、アバットメントの販売を行うこととなった。Dr.ラザーラの友人であるワシントン州立大学教授のDr.Robert.MLondonは、ラザーラにインプラントにだけは手を出すなと忠告したが、しばらくしてインプラントの製造販売を始めてしまったとのいきさつを話していました。この3Iインプラントは、当時のブローネマルクインプラントより精度の高い製品でした。(Dr.London談)ブローネマルク教授は、医学部出身の医師であり、他方歯科医であるDr.ラザーラは、下顎の無歯顎患者の症例からはじまった当時のブローネマルクシステムの顧客歯科医であったので、患者さんが何を望み、何をすれば喜ぶかを臨床歯科医として理解していた結果でもあったのでしょう。
のちに、ハイドロキシアパタイトをチタンインプラントの表面につけた製品が他の複数社から発売され、当初は骨と短期間で結合するということで歯科医や患者さんに喜ばれましたたが、しばらくするとインプラント表面からハイドロキシアパタイトが剥がれ骨結合が失われるケースが報告されるようになりました。この事件後も、優れたハイドロキシアパタイト表面構造のインプラントを発売していた大手米国歯科インプラント会社SteriOss社は、1998年にノーベルバイオケア社に合併吸収されました。
スイスでは、このハイドロキシアパタイトとは異なるサンドプラスト処理を施したインプラントを  らが考案し発売しました。このサンドプラストを施したものが2000年頃から現在(2009年)までインプラントの主流の表面構造です。
最期まで、機械研磨を守ってきたブローネマルクシステムも2000年には、ほぼ同様な酸処理とチタンによるサンドプラストを行った表面構造の製品であるタイユナイト表面処理インプラントに代わり、現在は機械研磨製品はカタログから消えてしまいました。 この時まで、
この過程で、100から200社ものインプラント会社ができては消えて行ったが、上位5-10社は安定して製品を供給し、欧米の学会に毎年多くの研究が発表されております。
現在、この数年ジルコニアによるインプラントが数社で発表されたり、発売されていますが、これら製品の確実性については、いまだ結論が出ていません。ちなみに、数十年前にもドイツにセラミック製のチュービンゲンインプラントというものが存在しました。

 

ジルコニアインプラント 左図は、ジルコニアインプラント、インプラント本体とアバットメントが一体として製品化されています。審美性に優れている。